No.16
(2010/02)
祓いたまえ〜、浄めたまえ〜。
神社でお祓いを受けると神主さんの詔りに、必ず出てくるこの言葉。
この言葉に、実は日本人の善悪観が表れているって、気づいたことありますか?
雨が多く、日本の狭い国土の中を流れる河川は急流です。
よって、川に落ちた木の葉も長くそこに留まることなく、あぁぁという間に流れていき、また元の清流が表れる。
穢れや汚れといった罪悪は、償うものと言うよりも洗い流すもの、流されるもの、そういうイメージが日本人にはあるようです。
「水に流して..」「気持ちが洗われる」なんて比喩は、ですからとても日本的なのです。
そうそう、「銭洗い弁天」っていうのも、これに関係あります。
お金を洗ってなぜ増えるのか???
単純に考えれば、増えることなどありませんね。ひょっとしたら、お札なんて破ってしまうかもしれません。
では何を洗っているのかといえば、それはお金につきまといがちな「私欲」です。
洗うことで「私欲」を洗い流していたのです。
「私欲」は諍いの元凶になるということが、日本人のメンタルDNAの一番深いところにあるのです。
すごいですよね〜、日本人の思想体系って。
物事を私欲から眺めることを、水に流す対象、つまり罪悪の根源と捉えているのです。
ホラホラ、ちょっと前に村上ファンドの村上氏が「お金を儲けて何が悪いんですか?」って、テレビで発言したのがちょっとした物議を醸したの、覚えていませんか?
たぶん、多くの日本人は違和感を感じたと思います。
それもそのはず、お金を儲けるという発想には、お金は相手が届けてくれるものという思想があるのが日本なのです。
私欲からお商売をしないと、相手の心に届くようになる。すると、その心がお金を運んでくる。結果、お金が増える、という具合。
これが腑に落ちれば「自分よし、相手よし、世間よし」という近江商人の「三方よし」、「世のため人のため」という思想とも、容易に符合しますよね。
このように日本人は、流す、洗うものは良くないもの。
この「良くないもの」に手を染める、足を入れることは人の道に外れることだという風に認識しているというのが、日本人の倫理観の礎にあるようです。
さてさて、ところでなぜ「流す、洗う」を今回のお題としたのかといえば、昨日の総理の発言が発端でした。
昨日2/21の「こども食料セッション」の会場で、鳩山総理は「この世界から足を洗ったら、農業をやりたい」といわれたそうな。
ん....、総理。日本の政治家、日本の総理の立場って「洗う」ものなのでしょうか?
私はてっきり、誇れるものかと思ってました。
昨日2/21の「こども食料セッション」の会場で、鳩山総理は「この世界から足を洗ったら、農業をやりたい」といわれたそうな。
え? 平田オリザさん。劇作家って、比喩とか隠喩を得意とするんじゃないんですか?
演説指導担当として内閣官房参与を担っておられるのだから、言葉の隠喩メタァーをきちんと伝授されないと、とんだ誤解を招きますよ...。